コロナ禍で「欧米では~」が使えない
今回のパンデミックの特異性をあげると、鉄板の「欧米では~」が無効になったことです。これまで、レガシーメディアは社会問題が起きたときには、「欧米では、こんなに上手に対処しているのに・・・」からの~「日本政府は何やっているんだ?」「日本人って、こういうときには中途半端でダメダメだね」という「海外に詳しい準欧米人」としての立場でうまく立ち回ってきたものが、この度の全世界が巻き込まれたコロナ禍では、もはや心の拠り所である「欧米では~」が完全に失われ、一部の番組では、にわか有識者の芸能人や芸人に責任を負わせる形で、支離滅裂な言い放題報道を行っています。同時に「欧米諸国が感心する日本人の底力」的なコンテンツも困難になっています。
思い起こすと「東京がダメならロンドンで五輪を開催する用意がある」って言われてるよ・・・なんて活き活きと報道していたのが、ほんの先日のこととは思えない世界レベルの惨状です。「欧米では~」がなければ、何を心の拠り所にすればいいのか?・・・メディアの動揺が「正しく恐れてください(震)」などと311の爆発的事象の惨状を思い出させるような言葉で伝わるとき、特にテレビ漬けの高齢者世帯は、もはや精神崩壊寸前であることは言を俟たないことです。
一律「半年留年」案も「欧米では~9月入学が常識」由来
ちなみに、子供たちを一律「半年留年」させて9月入学に変更させるという議論が行われていますが、「欧米では~」9月入学が常識なので同じになれてよいことなのだそうです。ありとあらゆる手を考えて、「欧米では~」を維持しようとしているこの状態を広く見渡すと、「欧米では~」依存症が、明治維新以降の日本だけでなく、広くグローバルに蔓延しているこころの問題と思えてきます。新型コロナによる死亡者が悲劇的な数値に日々至っている欧米の国々の有識者が、「コロナ後のグローバル世界はこうなる」とか「日本のコロナ対策に警鐘」とか言う前に、まず足元を何とかするべきなのに、この急激なパラダイムシフトが全然呑み込めていないと思うのです。国家の内外から湧き上がる「欧米では~」が、今後の動乱や戦争状態を引き起こさないか、憂慮される状態です。
この点、「日本は途上国並だ」と思われて恥だ的な「仮想準欧米人アプローチ」や、「日本は感染者数について虚偽の報告をしている」的な「陰謀論的準欧米人アプローチ」も模索されていて、今後の新「欧米では~」の動向には注視が必要です。再び「欧米では~」が安定的に利用可能になるまでには、だいぶ時間がかかるものと思われます。
→「欧米では~」から「世界では~」へのシフト昨今「欧米では~」に代わって「世界では~」という論調が導入されてきています。一部の有識者(的)発言では、コロナウィルスの感染数・死者数推移の多寡にかかわらず、日本の遷移は世界の中で特異であり、「世界から、ぬるい対策のおかしな国」と思われているという「自虐的準欧米人アプローチ」が優勢になりつつあります。ここで「世界」※とは、発言者が詳しいとする欧米を中心とした日本以外の国々のなかで啓蒙の論拠に合うであろう仮想の国々の総称であり、啓蒙論拠を曖昧な形で捕捉するコストのかからない優れた方法ともいえます。ただし、暗黙的には感染・死者数も「世界」に歩調を合わせたいという意向にもとれる場合があり、啓蒙内容によっては危険な煽り方と思われます。
※「世界」:地球上のすべての地域・国。(明鏡国語辞典)
この流れを見ていると、「日本人って~」と発言するとき、その裏には「欧米では~」や「世界では~」がメディアを通じて刷り込まれていて、それが「欧米に劣る日本人・欧米が感心する日本人」というアイデンティティを形成するのに重要であるとわかります。今後「世界では~」アプローチも不安定になれば、準欧米人的美意識の崩壊が発生し、平等や自由という点についても社会が深刻な先祖返りを起こす可能性があります。
「自粛するより家族だね」Covidiot世帯
TV漬けで心配がつのり精神崩壊寸前の高齢世帯の一方で、今回のSARS-CoV-2ウィルスによる病状CovidとIdiot(マヌケ)をくっつけて、外出自粛が守れない呑気な人たちを「Covidiot」というそうですが、日本でも、幸せごっこが止まらないCovidiot世帯が目立ちます。多くの有識者が指摘しているように、もはや「コロナ以前」の状態に戻ることはないだろうという深刻な現実を直視しなければいけない状態なのに、その悪影響を今後最もモロに受ける「コロナ世代」を支えるCovidiot世帯が、状況をさらに悪化させているという皮肉な状態と思います。
信じ難いですが、こんな緊急事態宣言の出ている深刻な社会状態で、沖縄に我慢できずに旅行してしまう人も、潮干狩りに行く家族も・・あとそれを煽る旅番組を普通に放送するテレビ局(先月撮影しました!)も、全員リア充ごっこが止まらない「能天気病」としか言いようがありません。一方、パチンコ屋に行列する人は、重症のギャンブル依存症で、コロナにかからなくてもこの世界恐慌下で先は前途多難かと思います。
先行き不安感が「第二次絆ブームの蔓延」を生む危険性
能天気なのは問題ですが、一方で、311の大震災のときもそうだったように、特に女性の抱える先行きへの不安感が、狩猟本能を刺激し「絆ブーム」を生むのは確実に不可避のことと思われます。はやくも、スーパーや商店街では、男の手を手錠のようにギュッとつかむ女性が増えていっています。今後「収入保険」として狩られる「男」の末路は、311の絆ブームで女性の「上目づかい」の罠にかかり身を固めさせられた男性の現状を見れば、火を見るよりも明らかです。確かに、彼らは「とても幸せです」(夫)って言うでしょうが、それは素手素足で便所掃除教育の「気持ちいい」(子供)と同じなのです。
緊急事態宣言下の社会不安の中では「男女平等」や「女性共同参画」などのリベラル用の啓蒙キーワードはパッタリ消え去り、「頼れる夫」だとか「絆が一番」みたいな昭和レトロのようなムードが高まって、多くの男性がこころいじりの罠に巻き込まれることになるのです。そしてコロナ世代の特に男子はこの絆ブームの直撃を受けるので、311の後と同じように、教育の急激なレトロ化による「鍛える教育」とかで、今回は何をさせられるのか?注視する必要があります。
「ミニマリズム」がこれまでの狂ったリア充ごっこ社会を変える鍵
現在の若年層はこの世界恐慌による親世代の経済困窮と教育の混乱に最も大きく影響を受けるでしょう。でも、ネットを通じて静かに広がる「ミニマリズムの考え方」が、生き残る術を与えてくれるだろうと思います。「ミニマリズム」の生き方を取り入れ、「○○ランドに行かなければ充実できない、とか、毎年恒例の海外旅行とか、クリスマスに、年末年始のレジャー、バレンタインの餌付け、連休の充実圧力、最新デバイス購入競争、生涯続く自動車ローン、住宅ローン、結婚式、新婚旅行、妊活、出産&披露、教育費、投資に、趣味に、別荘に・・・」、借金まみれになって買っても買ってもキリがない、メディアを通じて押し付けられる「幸せのひな型」を断捨離する良いチャンスといえます。逆にコロナが流行してよかった的な発想もこれからは重要になってくるでしょう。