結婚は一生続く「おなかのせ」

「おなかのせ」は、その特徴において「結婚」とよく似ています。かつて、男性は夫として妻と子を養い、自分の城を持つべしと高額な住宅ローンで生涯縛られ、いつ死んでもいいように団信保険に入れられ、車遍歴と称して生涯自動車ローンを負い続け、世帯主(男)が受信料を払い、40年間労役につくことが「普通」とされていました。そして、その対価として、妻の名字の統一化、既婚者というフラグ、休日の幸せごっこ権を名誉として得られました。

結婚というおなかのせ

この①身動きがとれない、②女性が「よし」をしない限り重い負担がかかり続ける、③無理に状態を解いたら大けがをする、④それは自発的に望んだものという体で誉であり、⑤「幸せです」って言わなければいけない、⑥社会はそれを「すばらしいこと」と賛美し、⑦苦しみ以外の実益はない、というのは、まさに「おなかのせ」体操です。損する結婚 儲かる離婚(新潮新書)に詳しいですが、この生涯の「おなかのせ」は、一度組んだら女性側の有責無責に関係なく、女性に身ぐるみ剥がれないと解消することができないそうです。結婚する人が減ってきているのは、冷静に「しない」という選択肢がむしろ自然だからなのかもしれません。

英語でのBride(花嫁)とBridegroom(花婿)が示す結婚の本当の姿

英語では結婚する女性をBride(花嫁)男性をBridegroom(花婿)といいますが、このBridegroomの「groom」とは、主に馬の世話をする下僕という意味で、古来より結婚とは花婿が下僕として花嫁に仕えるものという意味が含まれているそうです。そしてブライダル(Bridal)とは、Bride(花嫁)とAle(エール・宴)が組み合わさってできた語で、「花嫁の宴」という意味だそうですので、花婿は下僕として披露される脇役的存在なのです。Waitress, Stewardessは差別的だと騒ぐことはあっても、Bridegroomは問題ないわけで、逆差別はOKというのは「結婚」でも同じです。

男女での「結婚の幸せ」のとらえ方の違いが非婚化の根本原因?

既婚男性が「結婚」の幸せさを説明するときは、決まって自分がどれだけ妻や子に蹂躙されているか、不自由であるかを述べて、のろけるのが王道です。それは、「おなかのせ」「巨大組体操」や「素手素足で便所掃除」と同じく、苦痛や不満が認知的不協和的に「幸せだ(=楽しかった~)」という気持ちに変わる心理プロセスを経ていることが原因です。一方の女性は、おなかに乗っているほうなので、「結婚」の幸せとは、虚栄も交えてですがメリットの視点にフォーカスしたものになります。

この相反する両性からの話を聞かされる未婚男性の側にたてば、「あこがれ」を持つことは無論困難となり、もっぱら「デメリット」を認識するわけで、非婚化するのは当然です。これは、例えると、「素手素足で便所掃除をしなさい」と言われて、便器の前で立ちすくんでいる男子児童と同じ心理状態です。そして、この状態の子供に一定の誘導と心理的プレッシャーをかけて、恐る恐る手を便器の中に自発的に突っ込ませれば、しばらくたつと「気持ちいい。楽しい。」と言って便器に顔まで突っ込めるようになるのです。未婚男性についても同じことで、「素手素足で便所掃除」を「結婚」に置き換えて考えると、「結婚したくない」が「幸せだなー」に代わるプロセスが類似していることが理解できます。

おなかのせ・素手素足で便所掃除・巨大組体操の3連コンボで非婚化を解消できるか?

これはあくまでも推測ですが、もしかしたら、教育における「こころいじり御三家」のおなかのせ・素手素足で便所掃除・巨大組体操の3連コンボで非婚化を解消できるかもしれません。不利益なこと不快なことを、「楽しい、気持ちいい」といえる感情は、ある意味貴重で、もしかしたらポジティブな面もあるかもしれないと思います。「結婚」の問題に限定すれば、本人が心底「幸せだ」と感じているのであれば、合成の誤謬の問題はなく、全体も個もメリットを得る状態なのではないでしょうか?